イエスの復活が幻聴とか幻覚とか作り話だった

Writer: admin Type: spinning Date: 2019-02-09 00:00
イエスの復活が幻聴とか幻覚とか作り話だったらキリスト教は成り立たないのでしょうか。それとも成り立つのでしょうか。共感した0###イエスの死を機会に福音にもぐりこんだのがパウロの「悪しき音信」である。彼は「復活したイエス」という虚言のもとに、最後の審判を、「神の国」をでっちあげた。キリスト者たちは、実在生も歴史的真理も、さらにはイエスをも破壊して、不死の信仰をつくりあげた。ニーチェ イエスに関する一次史料にはありません。生物学から見ても、医学的にも、死んだものは生き返りません。完全に死亡したものが、生き返った例は一つもありません。また、死体がなくなつた話を裏付ける客観的な歴史資料もありません。牧師は商売がら決してみとめませんが、死体が無くなった話も、幻覚話しに真らしさを加えるため後付けで、創作された可能性が高いと思います。新約聖書は信者を募るための宣伝のための本であり、歴史的経緯には信頼性がありません。本当は幻聴とか幻覚とか作り話ですが、洗脳される人、騙される人がいるから現に成り立つのです。ルドルフ・カール・ブルトマンは、1921年の『共観福音書伝承史』のなかで「原始キリスト教の信仰において本質的なことは、『宣教のキリスト』すなわち 原始キリスト教団によって宣教(ケリュグマ)されたキリストなのであって、必ずしも『史実のイエス』ではない」という学説がある。過去の学者だけでなく新進気鋭の聖書学者 上村静も新約聖書のイエスは過剰に装飾されて歪められた神話であるとしてます。●新進気鋭の聖書学者である上村 静 新約聖書と旧約聖書 p192イエスは「神の子」であるとか「神」そのもである、などと思い込まされていることが多い。中略・・イエスの死後弟子たちは「イエスがキリストである」という●「神話」を作り上げ、ユダヤ教の一セクトを形成した。それがその後の展開の中でユダヤ教から分離した結果、キリスト教になったのである。。真理でありながら、民衆が知っても無益である事柄が多い。そして、間違ってはいても、民衆がそのまま信じれば都合のよいことが確かにある。---聖アウグスティヌス「神の国」---(服部英次郎他訳、岩波書店)(82頁))ナイス0
###福音書には、信者たちが遺体を隠した、という噂が広まって今日に及んでいる。と書いてあります。わたしもそうだと思います。
###みなさん有難うございました。###あなたが復活を信じないのはあなたの勝手ですが、実際にあなたがキリスト教を信じていないように、復活信仰が無ければキリスト教は成り立ちません。(第一コリント書15章を読んでください)復活はキリスト教の根幹です。復活の否定はキリスト教の否定であり、復活を否定する者は神を否定し、救済を否定しているのです。このことは紛れもない事実であり、議論の余地はありません。あなたは不信仰者です。復活を否定したところで、あなたが神を信じていないという事実は変わりません。ナイス0
###成り立ちません。イエスの復活があるからこそ、キリスト教があるのです。キリスト教信者はそこに望みを持っているだけです。ナイス0
###イエスが実在したとか、復活したのが事実「だから」キリスト教が成立したのでは断じてない。どんな教えでも信徒は集まり、宗教として成立する。戦後日本では現人神への忠誠から解放されて、なんと600以上の新興宗教が出来た。そのうちいくつかは成功して今に続いている。なんでも信仰になるし、どんな宗教も成り立つ、事実に関係なく。成立して続くかどうかは民心を惹きつけるものがあるかどうかだ。ローマ帝国下の民衆にとっては実に都合のよいメリットがあったのだ。それは、神にいけにえを奉納する必要がなくなり、1回だけ悔い改めて洗礼を受ければ救われるという、経済的メリットだ。つまり「安い、早い、ウマい」だ。ユダヤ教では鳩、羊、牛をなだめの供え物としなければならない。何度も。牛を捧げるなどどれほどの負担だ。そして多民族のローマ帝国には他の宗教もあった。支配するローマ皇帝にしたら、それら多数の神の儀式にいちいち付き合うのも大変だ。統治に都合がよいのは一つの、経済的なキリスト教を国教にすることだった。それで両方が成功を収めたのだ。成功要因は安い、早い、ウマいだ。愚かなキリスト教徒は、弟子が殉教したのは真実だからだ嘘のために拷問に耐えて殉教はしない、などともっともらしい馬鹿話をする。幾重にも嘘だ。弟子たちが殉教したとは聖書に書いてない。福音書はイエスの死後何十年ものちに書かれたのだから、弟子の殉教があったならこんなセンセーションを書かないのは何故だ。カトリックの創作美談にすぎない。また、人間は拷問されればホントのことも嘘だと言うし、嘘もホントだと認める。それが人間だ。だからえん罪はいくらでもあったのだ。弟子がイエスの復活を見たから殺されるまで言を翻さなかったなどという人間は臨床心理を学びなおしたらいい。マンガ以外でね。そして更にキリスト教信者が分かっていない嘘は、イエスの物語を書いた福音書はフィクションだということ。イエスを神にするために脚色した物語だと知らずに、書いてある聖書に書いてある、とわめく愚かさ。長くなりましたが、なんでも宗教として成立するということ。ナイス0
###信じる事は自由ですが、信じる人が成立たせて居るだけと考えられますよねー・・・、世の中って信じない人の方が圧倒的に多いはずですよねー。宗教って証拠・証明しないで書かれた書物のみ信じる人が存在する・・、と言う事に違和感を感じます。何だかんだと言ってないで一度で良いので人々の面前に降臨とか出来んのだろうかねー。実に変な話よねー・・・。世界中で観ますと信じない人の方が多いのでまずは一安心ですよね!・・・。ナイス0
###イエスの復活が弟子たちの幻覚、ないし「心理的な復活」であったとするのは例えば G. リューデマンだが、そもそも復活が「心理的なもの」であり、「復活したイエスが今も天国にいるのです」というものだったら、当時のユダヤ人の反応は「それはすごいですね。ところで、それのどこが復活なのですか?」というものだったろう。当時のユダヤ思想において、復活というのは身体を伴うもの、「神が正しい人々を地上に甦らせる」ということであって、「見えない霊的イエスが今もいるのです」などという話では断じてなかった。だから少なくとも、イエスの遺体が無くなっていたということは、事実として認めて良い。それが無ければ、キリスト教が成り立たないのではなく、そもそも存在していない。ナイス0

 

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