銀閣寺と言うのは、金閣寺のようにできた頃は

Writer: admin Type: spinning Date: 2019-01-18 00:00
銀閣寺と言うのは、金閣寺のようにできた頃は銀箔を施していたんでしょうか・・・?共感した0###金閣寺も銀閣寺も、ともに通称にすぎず、建てた本人たち、足利義満 や足利義政 がそう名づけたわけではありません。金閣は正しくは「鹿苑寺舎利殿」です。金箔が貼られているから金閣と通称され、さらに、いつのまにか寺全体が「金閣寺」と呼ばれるようになりました。いっぽうの通称銀閣寺は、正しくは慈照寺、銀閣と呼ばれているのはその観音殿です。建物の位置づけも違うんですが、後世のひとが対にして「金閣、銀閣」と通称するようになった、というだけです。「西遊記」で孫悟空の倒す怪物兄弟が「金角、銀角」ですが、これにあやかって?面白がってそう呼ばれたんではないかな、と私は個人的に睨んでいます(違うかもしんないけど)。だから、「先に金閣というのがあったから、対照的なものを銀閣と呼ぶようになった」というのも、たぶん違います。「金閣、銀閣」という俗称がセットで生まれたのではないかと考えられます。金閣を中心とするのが義満の「北山文化」、銀閣を中心とするのが義政の「東山文化」。これは対象的な美意識を持ってます。ひとことでいえば「豪華」対「侘びさび」です。 義政は、政治家としても文化人としても、祖父の義満を強烈に意識して、というか敢えて対抗して「成金じいさんにはできなかったものをオレが作ってやる」という自負があった人です。世間のイメージとはちょっと違う人物だ と私は思っています。 「侘びさび」文化の家元?として歴史に名を残そう、と考えていた義政が、その美意識の集大成として建てたものが、単なる「金閣の色違いコピー」であるとは考えずらいです。なので、「銀を貼りたかったけどカネがなくてあきらめた」というのは、俗説にすぎません。調査の結果、この観音殿は黒漆塗りであったことが分かっています。きれいに漆で仕上げるのは、銀箔を貼るのにヒケを取らない費用と時間があかkるものです。義政が「現を諦めて漆にした」のではないのは明らかです。最初から、祖父の金ぴかより格落ちの銀を使うなんて、考えていなかったでしょう。では、なぜ後世、これが「銀閣」と呼ばれるようになったのか。実際に行ってみると分かりますが。観音殿はふつう池越しに見た写真が知られます。その池の隣には、つねに綺麗に整備さた、見事な白砂の庭が広がっています。「銀沙灘」です。 創建当時と今とは形状は同じではないようですが、やはりここには白砂の庭があったものと考えられます。夜になると、この白砂や、手前の池に、月の光が映え、反射した月光で、観音殿がほのかな銀色に輝くのです。この時こそ、この建物がもっとも美しく見える瞬間です。これが義政渾身の「仕掛け」なんです。もちろん、綺麗な月がいつも出るわけではありませんから、その美はその一瞬だけのもの、いわば一期一会です。だから貴重なんです。どうだ、これがワビサビだ、という義政の快哉が聞こえてきそうです。金箔ベタベタ貼ったのと、どっちが上品で洗練されてる? と日本人すべてに挑戦してきている、それが義政の作品です。だから、あれが後世「銀閣」と通称されるようになっても、みんな「なるほど」と納得し、その名に誰も文句は言わなかったんです。ナイス1
###回答ありがとうございます!勉強になりました。###元々金閣寺を意識して建てた物でなくて、苔寺を意識して建築されました。建設当日漆塗りであったのが、経年へ変化で江戸時代には白くなっていたそうです。日光が当たり反射したのを見て勘違いした江戸時代の観光客が銀閣寺と呼んだそうです。当時、慈照寺は寺の経営が行き詰まっていた為あえて観光客を呼び込む為その銀閣寺と言う呼び名を否定しませんでした、それが今日に銀閣寺と呼ぶ経緯だそうです。因みに中年の方が中学生だった頃は歴史の授業で銀閣は銀を塗る予定だったがお金の工面に行き詰まって止めたと教科書に書かれていましたが、現在は削除されています。ナイス0
###銀が張られた痕跡は全くないそうです。計画が有ったなどとの憶測も有るようですが根拠が有りません。「銀閣」の名前の由来は、義満の金閣に対して江戸時代につくられた呼び名だそうです。ただ単に西の金閣寺に対して東に有る銀閣寺です。ナイス0
###そういう計画はあったと聞くナイス0
###金^^全く構想すらないこと、面白おかしげな質問、カテマスの方だとは思えません。建設時は、漆喰を施した白です。明治政府が修復時に漆の加工を施し今の姿、今は漆もすすけている。ナイス0
###いいえ、最初から予定もありませんでしたし銀箔を施したことも一度もない。ナイス0

 

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