古典作品『古来風躰抄』より質問です。初春の

Writer: admin Type: spinning Date: 2019-01-27 00:00
古典作品『古来風躰抄』より質問です。初春の 初子の今日の 玉帚 手に取るからに ゆらぐ玉の緒という歌についての能因法師の供述に、「京極の御息所に心奪われた老い衰えた老法師が、彼女にこの歌を歌いかけた。しかしこの『手に取るからに』の歌は万葉集の第二十巻に入っているからこの話はまったくの作り話であるに違いないが、万葉集の善本というのは、第二十巻の歌がもう四十首ほど無い。その本にはこの歌が見えない。どういうことなのだろうか。」と言ったようなことが書いてありました。訳はできても意味が全くわかりません。何故作り話であると断言出来るのですか?また万葉集の善本というのは~からの説明は何が言いたいのですか…?解説よろしくお願い致します。共感した0###>何故作り話であると断言出来るのですか?「『老法師が、御息所に、思いの丈を訴え、「初春の」の和歌を詠んで、御息所が、老法師に、「よしさらば」の返歌を詠んで、二人は、極楽で会う約束をして別れた。』という話を、経信卿が能因法師に話した。」ということを、俊成がこまごまと書いている。能因が話した物語の登場人物である「京極御息所(藤原褒子)」は、900年代の人物、能因は1000年代の人物、俊成は1100年代の人物。「万葉集(7~8世紀成立)」に「初春の」の和歌がある(作者は大伴家持?)ということは、900年代の京極御息所に会いに来た老法師が、この和歌の作者ではないということは明白。だから、「この物語は作り話である」と断言できる。>万葉集の善本というのは~からの説明は何が言いたいのですか…?この「京極御息所と老法師」の物語は、「万葉集」の第二十巻に「初春の」の和歌がある、ということからすれば、「作り話だ」ということは明白なのだが、「初春の」の和歌が「万葉集」の第二十巻に載っているというのは、「善本(「本物」にかなり近いと思われる写本)」でない「万葉集」の方で、「善本」の第二十巻には、「初春の」を含めて、他の(善本でない)本にある四、五十首の歌が、なぜか載っていない。なんで載ってないんだろう。わかんないな?「善本」でない方の「万葉集」は、編集がいい加減だから、もしかして、後世に詠まれた歌が紛れ込んでいるのかも。もし、そうだとすると、この話も、「作り話だ」と決めつけることはできないのかも。ということが言いたい。ナイス0
###とても分かりやすかったです…!!いつもありがとうございます!m(_ _)m

 

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